目的を達するためには手段を選ばない、ではダメ

こんにちは、Plus Action for Children 代表の高畑です。

最近、改めて思うところがありこのエントリーを書きます。

Plus Action for Childrenは、子どもたちを取り巻く環境がより良くなることを求め活動しています。
予防接種制度の改善や充実を求めるのも、もちろんその一環です。

Plus Action for Childrenを立ち上げる前から、予防接種制度の改善や充実を求め、様々な活動を重ねてきました。
その中で私がいつも肝に銘じていたことは、目的のためなら手段を選ばない、という思考には陥らないこと、手段はきちんと選ぶこと、です。
予防接種制度を変える、というのは社会の中の制度を変えることであります。
社会の中の制度を変えるのですから、社会の構成員の中の合意形成を図ることを優先してきました。
合意形成を図らずとも、制度を変えることはできなくは無いことです。
しかし、合意形成を軽んじて制度を変えても、それは本当の意味での改善ではない、いずれどこかでほころびを見せ破たんの危険につながる、と考えてきました。
どんなに時間がかかっても、もちろん、自分自身が望む結果にはならなかったとしても、それはそれで仕方がない、と。
合意形成を図れなかったとしたら、それは社会という組織がその結果を望んでいなかった、ということであり、その結果は真摯にうけとめなければなりません。
それが民主主義であり、組織のあるべき姿だと考えるからです。

予防接種制度においても、このプロセスを端折ったがために混乱をきたしているものがあります。
HPVワクチンです。
私は、HPVワクチンは必要なワクチンであると考えていますし、定期接種の対象として適切なものだと思っています。
しかし、HPVワクチンの定期接種化に至る過程では、合意形成において丁寧さを欠いていた感は否めません。
結果として、ワクチンで守れる健康、命を十分に守れていないという現在があるのだと思います。

自分が望むものを何が何でも手に入れる、その意欲は大切です。
だからといって、プロセスを省いたり合意形成を無視したりしてはならないのです。

私たちは歴史から多くのことを学ぶことができます。
成功も失敗も。
失敗から学ぶことは、本当にたくさんあります。
自分が味わった不条理、辛苦、そういったものを次の世代に経験させないため、負の遺産として残さないためにも、歴史から学んだ教訓は大切にしなくてはなりません。

予防接種制度改善の取り組みについて、セミナーやシンポジウムでお話しさせていただく機会をいただいたとき、私は自分自身の過去も踏まえて、予防接種や感染症といったものへの無関心と沈黙、「きっとどこかで誰かがうまいことやってくれている」という当事者意識の欠如が、ワクチンギャップを生じ日本をワクチン後進国にしてしまった大きな理由の一つとしてお話してきました。
多くの子どもたちが、ワクチンで防ぐことのできる健康被害を被ってきたのは、私も含めた大人たちの無作為によるところが大きい、と。
だからこそ、社会の構成員の一人として、社会の中で守るべき子どもたちを守るために、次の世代により良い環境を残すために何ができるのか、一人一人が知り、考え、そして行動するように、予防接種や感染症についての情報を発信し続け、ともに考える機会を提供してきました。

大事にしてきたのは、社会全体で関心を高め、考え、行動すること。
その過程で、合意形成を十分に図ること。
例え時間がかかっても、自分が望むものが合意を得られなくても、絶対にプロセスを端折らない、合意形成を軽んじないということを大切にしながら。

子どもたち、孫たち、そしてその次の世代へと残したいものは、より良い環境なのですが、それは何か具体的な制度であったり物質であったり、というわけではないんです。
むしろ、不作為やプロセスを端折ったことでより良い環境から遠ざかってしまった失敗を繰り返さない社会を残したい、そうすれば後世の構成員たちが具体的な制度や物質を遅滞なく得ることができるようになるんじゃないかと、だから目先の成果や結果を優先してプロセスを端折ったりしてはいけないんじゃないかと、そのように考えています。

理想論かもしれません。
青臭いかもしれません。
だけれども、私が歴史から学んだこと、自分の息子の命を危険に晒して突き付けられたことは、そういうことなんです。

だからこれからも、時間がかかっても結果につながらなくても、合意形成とそこに至るプロセスを端折ることなく、活動していきます。
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予防と早期発見

予防か早期発見か。
しばしば並列で比較されることのあるこの2つですが、実際には別のものですよね。

予防は未然に防ぐこと、感染症であれば感染しない、感染しても発症しない、ということ。
早期発見は未然に防ぐのではなく、感染したり発症したりしたものを早期に見つけること。

早期発見により早期に治療を開始できれば、望ましくない予後を避けられる疾病もあります。
しかし残念ながら、早期発見・早期治療でも、重症化したり望ましくない予後をたどる疾病もあります。

ヒブワクチン・小児用肺炎球菌ワクチンの定期接種化を求めて活動していた時に、細菌性髄膜炎から子どもたちを守る会の武内一先生が、同会の会員を中心にアンケート調査を行いました。
発症から診断がつき治療が開始されるまでの時間と、予後にどの程度の関連があるのか、そのアンケートの結果が示したものは、早期発見・早期治療が実現できても、少なくない割合で悪い予後をたどるケースが生じているという現実でした。

また、細菌性髄膜炎は主な症状が、発熱・嘔吐・頭痛であり、他の感染症との鑑別が難しいという特徴があります。
好発年齢も0歳であり、発熱や嘔吐はわかりますが、頭痛などは本人が伝えることが困難です。
頚部の硬直などの特徴もありますが、最終的な診断には髄液の検査が必要になります。
脊髄から髄液を採取するので、その行為自体に相応のリスクが伴います。
特異的な症状を呈しておらず、可能性としてはその他の重篤ではない疾病であることのほうが高いにもかかわらず、リスクを伴う髄液採取を行うことは現実的ではありません。

また、治療においても耐性菌の割合が著しく高まっていたこともあり、早期に発見し菌種を特定し適切な抗生剤の投与を早期に開始したとしても困難な状況に陥るケースが生じていました。
早期発見も難しく、そのために早期治療も難しく、仮に早期に治療を開始しても悪い予後を十分に避けられない、それが細菌性髄膜炎です。
そのため、予防することが強く求められたのです。

予防接種の是非を考える場合に、疾病に罹患するリスクと予防接種をするリスクを比較します。
いずれのリスクも軽視してはなりませんし、事実に基づき適切に評価しなくてはなりません。

疾病に罹患するリスクは、しばし、死亡という最悪の結果をもって評価されることがあります。
もちろん、死亡することはなんとしても避けなくてはならないものですが、疾病に罹患するリスクはそれだけではありません。
治療によるリスクや治療後も残る不利益の有無なども、罹患するリスクです。
細菌性髄膜炎の場合であれば、治療には多量の抗生剤やステロイド剤を用いますし、場合によっては輸血等を要することもあります。
治療そのものにリスクが伴うのです。

治療後に残る不利益も、罹患することで被るリスクです。
疾病によっては長きにわたり服薬を続けなければならないものもありますし、早期の治療でも手術などの結果、後遺症とずっと付き合い続けなければならないものもあります。
早期発見・早期治療で罹患前の状態に回復できれば良いのですが、そのような疾病ばかりではありません。
死亡という最悪のリスクだけではなく、早期発見・早期治療でも負うリスク、回避できないQOLの低下等を十分に理解したうえでいずれのリスクを選択するのか、判断しなければなりません。

早期発見・早期治療でも、何らかの不利益を残しているケースは少なくありません。
しかし、そうした不利益は、第三者からはなかなか見えにくく、一見すると元通りに生活しているように見えることもあります。
当事者の方々の声を聴くことは、事実を知るためにはとても大切なものです。
例えば、がん患者さんなどが治療を続けながら就労等で不利益を被らないように、また後遺症などを負っていても従来の生活に近づけられるように、当事者の方々を中心に様々な取り組みがなされています。
そうした取り組みが実を結べば結ぶほど、逆に当事者の方々が抱え続けている不利益は見えにくくなるという面があります。
抱えている不利益自体は存在し続けているのに、です。
そのことが、一見すると罹患する前の、元通りの状態に戻ったという誤解を生み、「死ななければよい」という誤解につながり、罹患することのリスク評価を狂わせてしまうこともあります。
そうした誤解を生じないように、私たちは当事者の方々の声を聴き続けなくてはならないと考えます。

Plus Action for Children は小さな組織で大したことはまだまだできないのですが、そうした当事者の方々の声を聴ける機会を設け、適切な判断ができるようにと考えています。
そうした活動にご理解をいただき、ご支援いただけたら嬉しいです。

不十分との指摘だけではなく、十分な点の評価も大切ですよね

不十分との指摘だけではなく、十分な点の評価も大切ですよね

日々、リビングのテーブルで勉強しています。

数学の特定の項目が苦手で、悪戦苦闘しています。

「なんでこうなるの?」

と私に尋ねてくることもあります。

その項目は数少ない私の得意分野で、私は得意げに(大人気ない!)、

「こうこうこうだから、こうなってあーなって、こうなるんだよ」

等と話したりします。

長男の受験勉強の様子を見ていたり、そしてその成果としての模擬試験の結果等を受けとったときなど、ついつい

「○○がまだできていない」

という事柄を指摘してしまいます。

「本番で○○が出たらやばいぞ」

等と言う事もあります。

長男も重々承知していることなのに、なんとくどいことか。

そんな時、往々にして、できていないことだけを指摘し、できていることを褒めることを忘れてしまうことがあり、反省しています。

100点満点のテストで90点を取ったら、90点分はできているんですよね(当たり前ですが)。

それなのに、真先にできなかった10点分を指摘して駄目出しで終わってしまう。

まずは90点の結果とそれに繋がった努力を評価すべきなんですよね。

できなかった10点分も、できた90点分の努力の延長線上にあるわけで、できなかった10点分をできるようにするためには、90点分の努力を認めることが必要です。

できたこと、できなかったことは、同じ努力から生じた結果なのですから、できなかった事柄だけに目を向けては努力全体を適切に評価することはできませんし、努力そのものへの適切な評価がなされなければできなかったことの改善も望めません。

勉強に限らず、スポーツでも仕事でも家事でも、それこそ行政の施策であっても、同じことが言えるのでしょう。

何らかの不十分な点を改善しようとするなら、不十分な点だけに目を奪われず、十分な点に目を向けること。

これが改善を実現するための前提なのだと思います。

できたこともできなかったことも両方に目を向け、全体を視野に入れて評価する姿勢を忘れずにいたいと思う今日この頃です。



2016年8月26日
ムコネットTwinkle Days 命耀ける毎日」に掲載

2016年8月26日
ハフィントンポスト日本版」に転載

膨大な依存先を提供できる社会に

こんにちは、木曜日担当のPlus Action for Children 高畑です。

息子たちには、自立できる力を身につけて欲しい、そんな思いを日頃から抱いています。

以前は、私たち親のサポートが無くても生きていける、困らない、そんな風に考えていました。

あるとき、熊谷晋一郎さんのインタビュー記事、

自立は、依存先を増やすこと  希望は、絶望を分かち合うこと」(TOKYO人権 第56号(平成24年11月27日発行))

を目にし、はっとさせられました。

「実は膨大なものに依存しているのに、「私は何にも依存していない」と感じられる状態こそが、“自立”といわれる状態なのだろうと思います。だから、自立を目指すなら、むしろ依存先を増やさないといけない。」

私は、誰にも頼らない、一人でも生きていけることが「自立」だと考えていましたから、もう、頭をガツン!とやられたような、そんな感覚でした。

自分自身のことを改めて考えると、なるほど、多くの依存先にサポートされながら生活しているんだと実感します。

そのサポートが受けられない、受けにくい状態に陥った方が生き難さを感じるのだと考えられるようになりました。

どのような状況に立たされても、複数の依存先を確保できる、サポートを受けられる社会であれば、私たちはそのような状況に立たされることを必要以上に恐れることなく、安心して社会生活を営むことができます。

自立が、何にも依存しないことではなく、多くの依存先を確保できることであるならば、特定の困難な状況に陥った人たちだけではなく、誰もが多くの依存先を確保する、サポートを受けられる社会であることが望まれます。

その中で、依存先が限定され、又は失ってしまい、サポートを受けることが困難な状況の方が生じたのなら、その方々が依存できる依存先を新たに提供できれば良いのですよね。

明石市の泉房穂市長のインタビュー記事

「「子どもの貧困対策をするつもりはない」と 対策先進市・明石市長が言う理由」(Yahoo!JAPANニュース2016年7月20日 9時54分配信)

では、明石市の行政サービスの姿勢が明らかにされています。

「なので、児童手当を該当する市民に行き渡らせようとすれば、またその機会を活用してご家庭のお困りごとを解決していこうとすれば、結果的にそこで浮かび上がってくるのは貧困家庭の子どもたちだったりするわけですが、それは結果であって、その子たちに向けてサービスをしているわけではない。

すべての子どもたちが対象です。 」

とあるように、全ての子どもたちにサポートを提供する、結果としてそこに困難な状況にいる子どもたちの存在が浮かび上がってくるので、その子たちに向けてサポートを提供する、ということなのですね。

自立と依存を対義関係と捉えるのではなく、膨大な依存を得られる状態が自立だと考えれば、誰もがどのような状況に置かれても依存先を複数確保できるようにすることが、誰もが自立した生活を送れる社会なのだということになります。

そして、依存先が限られ何らかのサポートを必要としている方が居たとすれば、それはその方の問題なのではなく、依存先を提供できていない社会の問題なのですよね。

私も何らかの事由で依存先を失う、サポートを受けられない、受けにくいという状態になることは十分に有り得ます。

どのような状況にあっても、十分なサポートを受けられるようであれば、安心して生きていくことができます。

自分が自覚せずに受けている膨大なサポートの存在を自覚し、そのサポートが不足していることで困難な状況にある人たちに十分なサポートが提供されるような社会となるように、これからも活動を続けていこうと思っています。

そして、息子たちには、私たち親だけではなく、社会の中に広く数多くの依存先を確保でき、自立できるような大人になれるように、アドバイスを送り続けたいと思います。



2016年7月28日
ムコネットTwinkle Days 命耀ける毎日」に掲載

2016年7月29日
ハフィントンポスト日本版」に転載

罹って抗体をつけるのはお勧めしません

こんにちは、木曜日担当のPlus Action for Children 高畑です。

新年度が始まり、何かと賑やかな時間を過ごされている方も多いと思います。

桜の花も関東では今週末が今シーズン最後の花見チャンスのようで、少しだけでも時間を作ってみてこようかなと思っています。

さて、10月からはB型肝炎ウイルスワクチンが定期接種化されるなど、年々定期接種の数も増えています。

我が家が子育て中には、ヒブ、小児用肺炎球菌、HPV(女子だけですが)、水痘は定期接種ではありませんでしたし、長男の時には水痘以外はワクチンそのものが我が国では承認されていませんでした。

ポリオも経口生ワクチンでしたが、現在は不活化ワクチンとなり、ワクチン由来のポリオ感染のリスクからは介抱されましたが(時間がかかりましたね)、接種回数は増えています。

これらをすべて単独で接種しようとしたらとてもじゃありませんが、接種しきれません。

子どもたちが予防接種による抗体を十分に獲得してVPD(Vaccine Preventable Diseases:ワクチンで防ぐことのできる疾病)から守られるためには、適切な時期に速やかに接種を受ける必要があります。

単独接種では時間がかかりすぎますよね。

そこで、混合製剤や同時接種の活用が大切となるのですが、しかし現状ではまだまだ混合製剤の導入は我が国では不十分ですし、同時接種を活用しても何度も接種のために医療機関に足を運ばなければならない状況には変わりありません。

そんな状況のためか、たまに「全ての定期接種を受けるのは大変なので、一部だけを受けたいのだけど」という相談を受けることがあります。

しばしば言われるのが「ヒブや肺炎球菌、ポリオは罹ったら大変だから受けるけど、麻疹や風疹、水ぼうそうは感染しても治療すれば大丈夫そうだから接種を見送ろうと思う」というもの。

VPDの重篤性や後遺障害を負うリスク等が高めのものだけを受けて、感染者の大半が軽症で済んだり適切な治療を受けることで回復するような疾病は受けない、ということのようです。

そして、「もしそれで麻疹や風疹、水ぼうそうに罹ったら、それはそれで予防接種よりしっかりした抗体を身につけられるからそれで良い」とも。

うーん...。

予防接種は個体を守ることに加え、集団免疫=社会全体で感染症を防ぐという意味合いもありますから、そういった選択はしないで欲しいな、と。

それと、もうひとつ、「自然罹患し回復すれば、予防接種を受けるよりも、結果としては良かった(より強い抗体を獲得できた)」という考えには、やはり賛同できないんですよね、私は。

予防接種を受ける手間隙とリスク、感染して治療を受ける手間隙とリスク、を比べたら、圧倒的に前者の方が小さいと思うことが第一。

第二に、感染したことで更なる疾病発症等のリスクを背負ってしまうことがあるからです。

水ぼうそうのウイルスが体内に残っていて、成人後に帯状疱疹を生じることは、最近では多くの方々もご存知のことと思います。

あまり知られていないことですが、麻疹(はしか)にも同じような疾病があり、これはSSPE(亜急性硬化性全脳炎)という疾病があるのです。

また、B型肝炎ウイルスも最近ではキャリアではないと考えられていた患者さんが、リウマチの治療薬や免疫抑制効果を伴う薬剤治療を行うことが、肝臓内でウイルスの活動を再び活発にし肝炎を生じるケースが増えていることも指摘されています(特定非営利活動法人 日本小児肝臓研究所のホームページで解説を読めます)。

これらのリスクは、自然罹患で抗体をつける場合にのみ伴うリスクであって、予防接種によりVPD罹患を防ぐことで回避できるリスクです。

こうしたことを考えると、私は「自然罹患し回復すれば、予防接種を受けるよりも、結果としては良かった(より強い抗体を獲得できた)」という考えには、やはり賛同できません。

子育て中、頻回にわたる予防接種はなかなか面倒くさいものでありますし、回数を減らせるものなら減らしたいという気持ちは良くわかります。

ただ、その気持ちは、必要な定期接種を回避することで減らすのではなく、混合製剤の早期承認・導入を求め実現することや同時接種の活用等に向けて欲しいと思います。

繰り返しになりますが、定期接種化されている疾病で、自然罹患したほうが良いものはありませんよ。



2016年4月7日
ムコネットTwinkle Days 命耀ける毎日」に掲載

2016年4月7日
ハフィントンポスト日本版」に転載
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