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風疹・麻疹を防ぐためにできること

こんにちは、Plus Action for Children の高畑です。

風疹の流行が拡大しています

可児さんをはじめ、風疹をなくそうの会『hand in hand』の皆さんが声を挙げています。
流行の風疹で娘亡くした母が訴え「ワクチン接種を」 

厚生労働省は事態を深刻に受け止め、来年度から抗体検査を無料で受けられる方針を固めたそうです。
風疹の抗体検査、30~50代男性は無料に 厚労省方針

2012年から2013年にかけての風疹の流行は、まだ記憶に新しく、今回の流行を受け「またか」との思いを抱いた方も多いと思います。
風疹に罹患した方も、医師も、政府も、様々な方々が、忸怩たる思いを抱きながら、風疹の流行の拡大をどのように食い止めるのか、模索しています。

患者会の方々が何度声を挙げれば、どれだけ行動を重ねれば、風疹を排除することができるのでしょうか。
風疹を排除しても、彼女たちが風疹に罹患した過去を無くすことはできません。
風疹に罹る以前に戻ることもできません。
彼女たちには、そのような意味では何らプラスをもたらすことは無いのです。
それでも声を挙げ行動を続ける、そこには「同じ思いを繰り返してほしくない」という、当事者だからこその思いがあるのです。
そうした彼女たちが声を挙げず行動もせずに済む、そのような時が一日も早く来てほしい、私たちPlus Action for Children は強く願います。

風疹を排除するために有効な手段はあります。

それは、ワクチンを接種すること、です。

前回の流行も今回も、発症者の大半は接種歴を有しない世代の男性が中心です。
過去の定期接種の接種対象では無く、接種機会を得られていなかった人たちです。
こうした方々が風疹に罹患することで、その周囲の方々に感染させてしまう。
ワクチン接種を受けることができる前の、0歳児の発症などは、まさに周囲が感染しないことで防ぐしかありません。

先にも触れましたが、現在、厚生労働省等の方針としては、まずは風疹に対し十分な抗体を有しているかどうか確認する、抗体検査の実施を優先しています。
これは、ワクチンの供給量に不安があることが、理由の一つになっています。

しかし、抗体検査をするために医療機関を訪れ、採血し、結果を受けて再び医療機関に足を運ぶ、この時間、労力を考えると、必ずしも風疹を防ぐために最良の手段では無いことは明らかです。
同じく費用も時間も労力もかけるのであれば、最初から予防接種を受ける方がよほど効率的です。
多くの方が一日でも早く有効な抗体を身につけるためには、一日も早く予防接種を受けることが最良の手段です。

ですので、私は、
抗体の有無を確認するのではなく、予防接種を受けてください、とお願いします。
抗体があったところにワクチンを接種しても、何ら問題はありません。
また、現在は風疹の流行のために風疹の抗体検査を受けてとされていますが、麻疹に対するワクチンも混合ワクチンですから同じような制度遍歴、接種状況にあります。
風疹の抗体があったからと言って、十分ではないのです。

ワクチンが足りないのではないかとのご意見もあると思います。
しかし、接種を受ける側がワクチンが足りないかもしれないと勘案するより、医療機関に接種を求めて良いと思います。
その医療機関がワクチンの確保量、流通量を考えて、対応してくれます。
また、希望されれば、MMRワクチン(麻疹、風疹、おたふくかぜ)ワクチンを個人輸入し接種してくれる医療機関もあります。
この場合、定期接種対象では無いおたふくかぜの抗体を得ることもできます。
NHKの朝のドラマ「半分青い」では、主人公がおたふくかぜによる難聴を有しているという設定でした。
おたふくかぜによる不可逆的な難聴を抱える子どもたちも多く生じている現状では、おたふくかぜを予防接種で防ぐことも急務となっています。

麻疹・風疹を防ぐためにできること、それは
「速やかにワクチンを接種すること」
です。
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弱者やマイノリティを排除しようとするのは、もうやめませんか

こんにちは、Plus Action for Children 代表の高畑です。

我が国の少子化の進展とそれに伴う労働人口の減少が経済や社会保障等に大きなマイナスを及ぼすことが予想される中、海外からの労働力の確保や移民政策の展開、また女性や障がい者の方々が働きやすい環境づくり・雇用促進が進められています。
好む、好まざるに関わらず経済成長を前提とした社会構造となっているので、経済成長の停滞、マイナス成長は避けなければなりません。
主眼が経済成長の維持であり、そのための働き方改革、女性や障がい者の方々の就労環境の改善であるという見方もできますが、そうであっても私はそうした取り組みを歓迎したいと思っています。

ただ、短絡的な労働力の確保、という観点ではなく、属性等に関わらず活躍できる社会を実現することが、社会全体の幸せにつながるという観点を持ってほしいと思います。
社会的弱者と呼ばれる方々やマイノリティの方々が生きやすい社会というのは、それは誰もが生きやすい社会でもあります。
誰もがいつでも自分の意志とは関係なしに、ハンディを負うかもしれないし、マイノリティとなるかもしれません。
そのような状況となった途端に生き難くなる社会では、私たちは安心して社会生活を送ることはできません。

短絡的な視野で「生産性が無い」と批判したり、意見を異にする人を権力や立場の優位性を利用して排除したり、もうそんなことはやめませんか。
社会的弱者と呼ばれる方やマイノリティの方々の生き難さを解消する取り組みの方が、よほど生産的です。

Plus Action for Children は、今よりも少しでも誰もが生きやすい社会を子どもたちに残せるように、これからも活動を展開していきます。
皆様のご支援をどうぞよろしくお願いいたします。

忘れないこと、継続すること

風疹が流行しています。
2012年から13年にかけての流行を経験しているだけに、とても悔しく思います。

前回の流行では、当事者の方々を中心に専門家やマスメディアも大いに情報発信し、二度と同じことを繰り返さないように声を挙げました。
しかし、今回、流行が繰り返されてしまいました。

ワクチンで防ぐことのできる疾病=VPD(Vaccine Preventable Diseases)への対策は、根絶までは継続しなければなりません。
それも、細々とではなく、十分な効果を得られる内容と水準で、です。

流行時には関心が高まり、抗体検査を受ける人、ワクチン接種を受ける人が増加します。
しかし、いったん流行が落ち着くと、対策も低調となります。

ワクチンは需要の高まりに臨機応変に供給量を合わせることが難しい製剤です。
また、何年もに渡り保存することも困難です。
従って、急に増産したり、または大量に備蓄することができません。
そのため、流行時に接種希望者が増えても、ワクチン不足という事態に陥り、接種したくても接種できないということも起こりますし、接種を受ける側も接種する側も大きな労力を要することにもなります。

とはいえ、流行時の今、できることは、うつされない、うつさない、予防する、ことにつきます。
ワクチンが足りないとはいえ、医療機関への負担が増大するとはいえ、コストがかかるとはいえ、今やれることは最大限やるしかありません。
そうしてこれ以上感染者を増やさないことが大事です。

そして、何とかこの流行を乗り越えたら、その取り組みを継続することが大切です。
発症数が少なくなれば、注意喚起の情報も減るでしょうしメディアでの報道も減るでしょう。
それはある意味では当たり前のことですが、一方で、わが国ではまだまだ風疹に対して抗体を持たない人が数多くいること、風疹が流行するリスクは大きく残されていること、風疹への対策は引き続き必要であることを忘れてはいけません。
風疹対策が必要であるということを忘れずに、対策を継続することが求められます。

予防接種はVPDの流行時に注目を集めますが、VPDへの対策は非流行時(平時)にこそ着実に進めておきたいものです。
ワクチン接種を受けていない方が着実に接種を済ませ抗体を獲得していくことは、平時だからこそスムーズに実現できます。

今回の流行が一日も早く収まることを願いつつ、収まった以降も風疹の存在とリスク、対策の必要性を忘れずに行動を継続することを強く期待するものです。

本当のハラスメント対策

こんにちは、Plus Action for Children の高畑です。

パワハラ、セクハラ、アカハラ等、ハラスメントに係る話題が飛び交う昨今。
先日も、レスリング界でのパワハラ問題で、有力大学の監督が急転直下、退任となりました。
当人が退任前の開いた記者会見で、パワハラだという自覚が無かったこと、コミュニケーション上の問題だという認識でいることなどが述べられ、そのことへの批判がSNSなどで飛び交ったりもしました。
何らかのハラスメント→初期対応の誤り→炎上→何らかの処分(処罰)、といった流れが繰り返されているように思えます。

そんな時世において、組織内のハラスメント対策、とりわけパワハラの加害者になりやすいと思われる管理職の「ハラスメント対策」の講習等が盛んなようです。
先日もある企業の管理職の方とお話ししていた時に、やはりこうした事例はハラスメントに当たる、等の勉強などは組織として幹部職員になされているということを伺いました。
その際、「セクハラは特に難しいです」とのお話がありました。
女性職員の方が髪を切ってきた、そのことに触れる(「髪切ったんだね、似合うよ」)等も受け手によってはセクハラになり得る、という指摘があったのだそうです。
その話の際に、同席していた他の方から「切ったことを知りながら無視しても、セクハラになることもあるかも」という指摘があり、「うーん、振れても振れなくてもセクハラになる可能性があるって、難しい」となったのですが。

ハラスメントは受け手が嫌だ、不快だと感じることが前提ですから、加害者側が意図せずにハラスメントになっている、という事態はある意味で起きても不思議ではない構造です。
そのため、「こうした発言は○○ハラスメントになる」といった事例等を学びながら、そうした具体例を避けながらコミュニケーションを図る、そんなハラスメント対策が講じられているのだと思います。
共通化できるような、明確なハラスメントはあると思います。
暴力的な言葉、卑猥な言葉、行動、所作、そうしたものは日常のコミュニケーションには不要ですし、敢えて使う必要もないですから、そうした具体例を避けることは有効な対策になり得るでしょう。

一方、同じ表現、行動等でも、それ単体が持つ意味だけではなく、当事者の関係性や感情が加味されて、ハラスメントとなるものもあります。
というか、寧ろそうしたものの方が多いのかもしれません。
こうした事例について、当事者間の関係や感情などを切り離して、結果としてハラスメントとなった言葉や表現を「具体例」として避けることは有益ではないんじゃないかな、と思っています。
有益ではないというよりは、本当の対策ではない、対策としてはずれている、という方が良いのかもしれません。

最初の方で触れた「髪の毛を切ったこと」への対応も、髪の毛を切ったことに言及するかどうかではなく、そうした会話がなされる当事者間の関係性等がハラスメントとなるのか否かを分ける大きな要素になります。
であれば、この事例では考えるべきは「髪の毛を切ったこと」に触れるか否か、ではなく、そうしたことを話題に出来る関係性が構築されているか否か、でしょう。
こうした関係性などが影響する事例の方が多いのであれば、有効なハラスメント対策は良い関係性を構築する、ということになるのだと思います。

なんだ、そんなこと当たり前じゃないか、と思う方も居るでしょう。
しかし、その「当たり前のこと」が「当たり前じゃない」から、ハラスメントとして受け止められるのではないでしょうか。
「当たり前」と思っていた、その何でも言える関係性だと思っていたものが、実は相手の忍耐と寛容でハラスメントを黙認されていた、看過してもらえていた関係性だったことに気づけるのかどうか、ということなのかなと思います。
そういう意味では、冒頭のレスリングの監督は、とても正直な心境を会見で話されたのだと思いますし、そして自分が気付かずにハラスメントを働いていたことについて、今でも何故なのかという本質に気づけていないのだとも思います。

セクハラもパワハラも、対等な力関係の中では余り起きにくいものです。
立場の違い、強いものと弱いものが居て、弱い立場の人間の我慢と寛容でハラスメントが黙認される、その我慢と寛容の限界を超えた時に、ハラスメント問題として顕在化するのだと思います。
多くの組織の中には上下関係、強弱関係が存在します。
これは会社等の職場だけではなく、教育の場、スポーツの場、家庭内でもあります。
強い立場の人間のハラスメントを弱いものが受け、耐え続ける。
強い立場の人間は、その我慢と寛容に気づかず、ハラスメントだと自覚しない。

会社組織の中で強い立場に立つ管理職がハラスメント対策の研修などを受ける、というのはそうした「強いもの」が加害者になりやすい構造にあるからです。
しかし、そこで学ぶことが結果としてハラスメントとなった事例のラーニングにとどまっていては構造的解決にはつながりません。
何故その表現が、行為が、ハラスメントとなってしまったのか。
その結果につながった関係性の改善、そうならない関係性の構築を学ぶことが本当の意味でのハラスメント対策につながっていくのだと思います。

抗い声を挙げる勇気を

こんにちは、Plus Action for Children の高畑です。

連日、日大アメフト部に関するニュースが報じられ続けています。
過剰ではないかとも思えるほどの取り上げられ方にも見えますが、一部活動の不祥事ということではなく、少なくない人たちが同様の事柄を見聞きしたり経験したりしたことがあり、そうした自分の経験を投影しているから、これだけ多くの人たちが関心を持ち意見を述べているのかなと思っています。

この件では徹底的に追い詰められた若者が、越えてはいけない一線を越え、対戦相手に大けがを負わせてしまいました。
そのことを後悔し反省しているからこそ、加害者となった若者は自ら記者会見を開き真実を述べたのだと思います。
このこと自体はとても勇気がいることであり、一人の若者が背負うには余りにも重いことであり、その行為は称えられることですらあると思っています。

しかし同時に、私はやはりそこまで至る前に抗い、声を挙げてほしいと思ってしまいます。
これは今回の当事者である加害者とされる若者だけに向けて思うことではなく、自分自身を含めて、この社会に生きるすべての人に向けて願うことであります。

他者を傷つけ陥れなければ得られない利益は、得てはいけない利益ではないでしょうか。
そのような選択をしてはいけないですし、そのような選択を強いてはならないのです。
もしそのような選択を強いられたら、抗い声を挙げてほしい。
それはおかしい、と。

彼一人で声を挙げられない状況に追い詰められていたことは、報道からも部外者の私でも想像できます。
であれば、そのような状況に至る前に、当事者となる立場の皆が抗い声を挙げ状況を改善してほしい、そう願います。

看過してはいけない状況を目にして声を挙げないということは、それは被害が生じることを見て見ぬふりをした、被害を食い止めなかった、という意味で加害行為です。
声を挙げないということは被害者にも加害者にもならないということでは決してありません。

今回の件では、日大アメフト部の指導者の不適切かつ不誠実な行為、不健全な指導体制をはじめとする組織体質等が事件を引き起こした理由として取り沙汰されています。
もちろん、それは事実ですし間違いではありません。
ただし、それは改善すべき状況を看過してきたことから生じた結果でもあるわけです。
そのような指導者がそのような組織を作り上げてしまった、その原因もまた改善していかなければ、今回のような出来事はまた繰り返されてしまうのではないでしょうか。

糾弾されている指導者たちを断罪するだけで溜飲を下げ終わらせてしまうのではなく、越えてはいけない一線を越えてしまうほど若者が追い詰められてしまった状況まで至ってしまった経緯を振り返り、おかしいということについて抗い声を挙げる勇気を私たちひとりひとりが改めて持つ、そのような反省が必要なのではないかと強く感じます。
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