乳幼児医療費助成制度について(ちょっと言い切り)

全国各地で乳幼児医療費助成制度が創設されています。
中には「未成年医療費助成制度」と言った方が良いような手厚い制度のものもあります。
子育て中の保護者からの要望があるから、このような制度が創設されます。
これらの制度には功罪があります。

功としては、窓口負担を気にせずに受診できる、ということがあります。
経済的理由による受診をためらう、見合わせるといったことが起きにくくなります。
とりわけ、診療報酬で加算などが設定されている(=一部負担金が高くなる)時間外・夜間や休日ではその恩恵は大きいでしょう。
時間を問わず、無料や低廉な費用で受診できるから、早期受診が可能となります。
子どもの健やかな成長を実現するためにはとても重要な施策でしょう。

罪としては、窓口負担を気にせずに受診できるが故に、モラルハザードにつながる、ということが指摘されています。
いわゆる「不必要な受診」を惹起するというものです。
無料や低廉な費用で受診できるから、様子を見れば良いような軽症の場合も受診する、そのことが小児科医の労働を加重にし、疲弊につながり、また、本当に受診が必要な子どもたちの受診機会を遅らせたり奪ったりする、ということも指摘されています。
診療報酬では時間外や夜間、休日には加算を設けているので、おのずと一部負担金は高くなります。
狙ってかどうかはわかりませんが、結果として小児科医の疲弊が指摘されている時間帯の受診が抑制されることになります。医療費助成制度は、この受診抑制の効果を打ち消します。

受診する側は、「功」の部分に着目し、制度の拡充を求めます。
一方、「罪」がもたらした実害を目にしたり体験した側の一部は、制度のあり方に疑問を呈し、一部負担金の必要性を訴えます。
ここに議論が生じます。

議論の争点は、主に「罪」の部分に集中します。
「功」を根本から否定する立場には殆ど遭遇しません。
「功」は認めつつ、「だが、『罪』は放置できない。やむをえないが、『功』を抑制するか放棄する必要がある」という主張が多いように感じます。
特に、時間外・夜間・休日の受診時について、この主張が強くなります(なので、この部分に特化して話をすすめます。もちろん、受診全般でも言える話です)。
「日中は助成対象でもかまわない、しかし時間外・夜間・休日の受診時には一部負担金を求める必要がある」という主張も展開されています。
これは、功と罪のバランスを調整しようという立場の主張と思われます。
いわく「時間外・夜間・休日の受診は、疲弊した小児医療提供体制にとって負荷となる。本当に受診が必要な場合にのみ受診するべきで、受診が不要な症例では翌通常診療時間に受診すべき。一部負担を徴収することで、不要な症例の受診を抑制するべきだ」。

この主張について考えてみました。
この論が正当性を帯びる為にクリアすべきポイントは、「受診の必要性を線引きできる」「受診が必要な症例からも一部負担金を徴収する」の2点だと考えます。

後者については神学論争になりそうなので掘り下げません。
結論だけ書くと、私の主張は「一部負担金徴収は不要」というものです。

前者については、医学的な線引きと、線引きへの社会的な合意と、2つの側面があるでしょう。
医学的な線引きが可能かどうか、医学・医療の専門家では無い私には論じられない課題であり、「線引きが可能かどうか」の結論を私は持ちません。
ただ、仮に線引きが可能だったとしても、これは保護者に求めることは医学的判断としては不可能だと考えます。
可能となる前提は、医師免許を保護者全員が有するだけの教育を受けている、もしくは同等の知識を有することでしょう。
これは非現実的です。
多くの保護者は医学的に「受診が不要」と判断できないから、受診するのです。受診の結果として、受診の必要性が「あった」か「無かった」かが、国家資格を有する医師により下されるのでしょう。
受診前に医学的に受診の必要性の有無を保護者が判断することはできないですよ。
故に「医学的線引き」を保護者に求める議論は不毛だと考えます。

医学的な線引きが仮に可能だったとしても、保護者はその線引きのすべてのパターンに倣う事はできません。
言うまでも無く人には個体差があり、受診の必要性に係る医学的線引きは万人共通かつ100%というものは作りえないでしょう。
しかし、ある程度普遍性を持たせた線引きでなければ、保護者全体への利用を求めがたい。
故に、医学的には100%で受診必要性の有無を判断できるわけではないが、おおよそ適用できるだろうという判断基準を、保護者が受診の必要性の有無を判断する基準として用いることに、そして基準そのものに合意できるかどうか、という社会的合意が議論の的になると考えます。

例えば、「全身状態良好で発熱は38度未満、脱水・呼吸困難無し」をひとつの基準にしよう、という提案があったとします。
医学的にはどの程度がスクリーニングできるのかわからないが、一応、エビデンスがある判断であると説明は付随するでしょう。
あとは、この基準で受診の有無を判断する、ということに社会的な合意が得られるかどうか、がポイントとなるでしょう。

言い換えれば、ある程度の医学的根拠を持った基準で、時間外・夜間・休日の診療という社会的リソースを消費することの是非を決めてしまおうという合意ができるかどうかです。
もちろん、「全身状態良好で発熱は38度未満、脱水・呼吸困難無し」であっても、本当に受診が必要だという症例も稀にあるでしょう。医師が診察すれば、上記以外のサインを拾い上げることが可能な症例であっても、それだけの知識も訓練も受けていない保護者がそれらを見極めることは不可能ですし、逆にそれら以外の項目を理由に受診することを認めるのであれば、基準は形骸化します。
一例の漏れも許さない、ということであれば、スクリーニング適用は合意されません。医学的な受診の必要性の有無の線引きも不要となります。
ある程度の漏れを容認しつつ、線をを引くことに合意を得られるからこそ、線引きする意味が生まれます。

小児の時間外・夜間・休日の受診において、一定の線引きができるかどうかの議論は、上記の社会的合意が得られる前提で行われなければいけないでしょう。
これは、必要性を100%保護者がスクリーニングできる医学的線引きが可能、という幻想を捨てることでもあります。
ここも神学論争になりそうですが、これが可能だとすると、医師免許なんて要らなくなるという議論にも発展するでしょう。
私にはそれだけの暴論だと思われます。

受診の必要性の有無の部分が長くなってしまいました。
無駄な受診を防ぐ為に一部負担金が必要、という論はどうでしょうか。
縷々述べてきたように、一定の割り切りを持った上で社会的に合意しなければ、保護者に受診の必要性の判断を求めることは難しいのであり、この判断を前提とした一部負担金による受診の抑制をさらに社会的に受け入れられるのかということになるでしょう。
経済的に富める者もそうでない者も、保護者の立場では「受診の必要性が無い」という判断は難しいです。それでも更に経済力格差につながる一部負担金をハードルとして設けるかどうか、ということに社会的な合意が得られれば、それはありなのでしょう。

しかし、現在の医療費助成制度が保護者の経済的格差が子どもが医療を受ける機会へ干渉することを防ぐ為に求められてきていることを鑑みると、一部負担金を受診抑制のためのハードルとするることは極めて合意を得がたい事柄だと推察されます。
ましてや、受診の必要性が判断できなくても富める者(の子ども)だけが受診の機会を得られるという線引きであると考えれば、その線引きは差別的であり容認されがたいものであると思われます。

社会的に容認されるかどうか、私は合意までには至らないだろうと予想しますが、しかしそれは私個人の価値観に基づくものであり、社会全体のそれと異なるかもしれません。
結果はどうであれ、大いに議論すれば良いと思います。
しかし、「保護者は受診の必要性を判断できる」という妄想を前提に議論することは避けて欲しいです。
何故なら、医学的でも科学的でもない議論であって、詐欺的な議論であるからです(ちょっと言葉が過ぎるかもしれませんが)。
「ある程度はスクリーニングできますよ。漏れもありますよ。漏れは容認してくださいね。スクリーニング結果に従わなかったら負担金をいただきますよ。でも、富める者は貧しき者より受診しやすいですけどね。スクリーニングから漏れた本当は受診したほうがよい症例は、結果として富める者の方が救われる可能性が高いですけどね」ということに社会的合意を得る為に議論されるなら大いに議論に参加したいです。
もちろん、私は、負担金徴収は反対、と主張します。

一部負担金を受診抑制のハードルにするというのは古くからあるアイディアであるようですが、私は非常に乱暴で手抜きの対応だと思います。
医療というリソースへのアクセスに経済力というハードルを設けるのですから。
それでも、現状のリソースを守るためには必要悪、という考え方もあるでしょう。
だとしても、医療「保険」というリスク分散の設計であっても、実際にリスクを負った人間に負担を求めるというのはあまり賢い手法では無いだろうと思います。リスクを負ったのは自動車事故等とは異なり、自己責任からは程遠いものが多いからです。
いやいや、生活習慣病なんかもあろうよ、という声も聞かれそうですが、アルコールには酒税、タバコにはタバコ税がかかっており、税金は医療保険運営に投入されているのですから、ハイリスクとなる自己管理甘し型の人間が負担が重くなっている面もあります(十分ではないですけど)。
検診を受けなければ保険料を割り増す、とうい手法もあるかもしれないですが(メタボ健診には遠からずこの視点がありそうな)。

受診抑制は、無用な受診を抑制するという視点だからおかしくなるのではないでしょうか。
受診の必要性は受診の結果として明らかになります。
むしろ、受診の必要性ではなく、必要そのものを減らす策をとるべきだろうと思います。
そのためには予防であり健康増進であり、啓発だろうと考えています。
これらだけで長文となりそうなので言及しませんが、受診の必要性云々や経済力によるハードルを設けるのではなく、受診の必要性そのものを減らすほうが実害は少なく不公平感も払拭できるのではないでしょうか。
これらは一朝一夕にはいかないし手間隙もかかります。
だから一部負担金で、という発想は手抜きだと思うのです。

受診の必要性は経済力とは無関係です。
だから、受診抑制のために負担金、というのは乱暴だと思います。
それでも現状の医療提供体制を守る為に即効性のある受診抑制が必要だというのなら、手抜きで乱暴な手法だけども、負担金により抑制しようと提起すべきです。
保護者が受診の必要性を判断できる、だから不必要な受診には負担金を、というのは詭弁だし、誤魔化しだ、と。
求めるなら、「不公平だけど手っ取り早いので」と説明して欲しいものです。
その上で社会的に合意できるのなら、それはそれで良いじゃないかな、と。
それが民主主義国家なんですから。

ただ、子どもたちの健やかな成長を考えると、一部負担金を「ハードル」とする考えは嫌なんですね。
スポンサーサイト

テーマ : ブログ
ジャンル : ブログ

プロフィール

+afc

Author:+afc
FC2ブログへようこそ!

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
Donation(寄付)
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR