スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

本年もよろしくお願いいたします

1月10日になっての挨拶でなんなんですが、本年もどうぞ宜しくお願いいたします。

昨年5月5日に立ち上げた「+Action for Children」。
なかなか本格的な活動を展開できないまま、新たな年を迎えてしまいました。
新たな年こそは、との思いを胸に、できることから一つずつ積み上げていきたいと思います。

新たな年を迎え、家族で「おめでとう」を言いあう度に、このような時間を大切にしなければと感じています。
昨年は東日本大震災をはじめ、台風被害等さまざまな災害に見舞われました。
昨日までの日常が吹き飛んでしまう、そんな不条理が起こるのだと改めて思い知らされます。
私も息子の細菌性髄膜炎罹患を経験し、今という時間の尊さ、代わり映えのしない日常のいずれもが光り輝く時間なのだという事を強く胸に刻みました。

子どもたちが健やかに成長できる社会であってほしい。
これが「+Action for Children」の願いです。
かけがえのない一分、一秒を大切にできる社会。
子どもたちの耀ける未来、可能性をスポイルすることのない社会。
そのために社会の構成員の一人ひとりが、「知り」「考え」「行動する」社会。
そんな社会を実現するために、微力ですが一つ一つ活動を重ねていきたいと思います。

どうぞ本年もご支援・ご指導の程、何卒よろしくお願いいたします。

乳幼児医療費助成制度について(ちょっと言い切り)

全国各地で乳幼児医療費助成制度が創設されています。
中には「未成年医療費助成制度」と言った方が良いような手厚い制度のものもあります。
子育て中の保護者からの要望があるから、このような制度が創設されます。
これらの制度には功罪があります。

功としては、窓口負担を気にせずに受診できる、ということがあります。
経済的理由による受診をためらう、見合わせるといったことが起きにくくなります。
とりわけ、診療報酬で加算などが設定されている(=一部負担金が高くなる)時間外・夜間や休日ではその恩恵は大きいでしょう。
時間を問わず、無料や低廉な費用で受診できるから、早期受診が可能となります。
子どもの健やかな成長を実現するためにはとても重要な施策でしょう。

罪としては、窓口負担を気にせずに受診できるが故に、モラルハザードにつながる、ということが指摘されています。
いわゆる「不必要な受診」を惹起するというものです。
無料や低廉な費用で受診できるから、様子を見れば良いような軽症の場合も受診する、そのことが小児科医の労働を加重にし、疲弊につながり、また、本当に受診が必要な子どもたちの受診機会を遅らせたり奪ったりする、ということも指摘されています。
診療報酬では時間外や夜間、休日には加算を設けているので、おのずと一部負担金は高くなります。
狙ってかどうかはわかりませんが、結果として小児科医の疲弊が指摘されている時間帯の受診が抑制されることになります。医療費助成制度は、この受診抑制の効果を打ち消します。

受診する側は、「功」の部分に着目し、制度の拡充を求めます。
一方、「罪」がもたらした実害を目にしたり体験した側の一部は、制度のあり方に疑問を呈し、一部負担金の必要性を訴えます。
ここに議論が生じます。

議論の争点は、主に「罪」の部分に集中します。
「功」を根本から否定する立場には殆ど遭遇しません。
「功」は認めつつ、「だが、『罪』は放置できない。やむをえないが、『功』を抑制するか放棄する必要がある」という主張が多いように感じます。
特に、時間外・夜間・休日の受診時について、この主張が強くなります(なので、この部分に特化して話をすすめます。もちろん、受診全般でも言える話です)。
「日中は助成対象でもかまわない、しかし時間外・夜間・休日の受診時には一部負担金を求める必要がある」という主張も展開されています。
これは、功と罪のバランスを調整しようという立場の主張と思われます。
いわく「時間外・夜間・休日の受診は、疲弊した小児医療提供体制にとって負荷となる。本当に受診が必要な場合にのみ受診するべきで、受診が不要な症例では翌通常診療時間に受診すべき。一部負担を徴収することで、不要な症例の受診を抑制するべきだ」。

この主張について考えてみました。
この論が正当性を帯びる為にクリアすべきポイントは、「受診の必要性を線引きできる」「受診が必要な症例からも一部負担金を徴収する」の2点だと考えます。

後者については神学論争になりそうなので掘り下げません。
結論だけ書くと、私の主張は「一部負担金徴収は不要」というものです。

前者については、医学的な線引きと、線引きへの社会的な合意と、2つの側面があるでしょう。
医学的な線引きが可能かどうか、医学・医療の専門家では無い私には論じられない課題であり、「線引きが可能かどうか」の結論を私は持ちません。
ただ、仮に線引きが可能だったとしても、これは保護者に求めることは医学的判断としては不可能だと考えます。
可能となる前提は、医師免許を保護者全員が有するだけの教育を受けている、もしくは同等の知識を有することでしょう。
これは非現実的です。
多くの保護者は医学的に「受診が不要」と判断できないから、受診するのです。受診の結果として、受診の必要性が「あった」か「無かった」かが、国家資格を有する医師により下されるのでしょう。
受診前に医学的に受診の必要性の有無を保護者が判断することはできないですよ。
故に「医学的線引き」を保護者に求める議論は不毛だと考えます。

医学的な線引きが仮に可能だったとしても、保護者はその線引きのすべてのパターンに倣う事はできません。
言うまでも無く人には個体差があり、受診の必要性に係る医学的線引きは万人共通かつ100%というものは作りえないでしょう。
しかし、ある程度普遍性を持たせた線引きでなければ、保護者全体への利用を求めがたい。
故に、医学的には100%で受診必要性の有無を判断できるわけではないが、おおよそ適用できるだろうという判断基準を、保護者が受診の必要性の有無を判断する基準として用いることに、そして基準そのものに合意できるかどうか、という社会的合意が議論の的になると考えます。

例えば、「全身状態良好で発熱は38度未満、脱水・呼吸困難無し」をひとつの基準にしよう、という提案があったとします。
医学的にはどの程度がスクリーニングできるのかわからないが、一応、エビデンスがある判断であると説明は付随するでしょう。
あとは、この基準で受診の有無を判断する、ということに社会的な合意が得られるかどうか、がポイントとなるでしょう。

言い換えれば、ある程度の医学的根拠を持った基準で、時間外・夜間・休日の診療という社会的リソースを消費することの是非を決めてしまおうという合意ができるかどうかです。
もちろん、「全身状態良好で発熱は38度未満、脱水・呼吸困難無し」であっても、本当に受診が必要だという症例も稀にあるでしょう。医師が診察すれば、上記以外のサインを拾い上げることが可能な症例であっても、それだけの知識も訓練も受けていない保護者がそれらを見極めることは不可能ですし、逆にそれら以外の項目を理由に受診することを認めるのであれば、基準は形骸化します。
一例の漏れも許さない、ということであれば、スクリーニング適用は合意されません。医学的な受診の必要性の有無の線引きも不要となります。
ある程度の漏れを容認しつつ、線をを引くことに合意を得られるからこそ、線引きする意味が生まれます。

小児の時間外・夜間・休日の受診において、一定の線引きができるかどうかの議論は、上記の社会的合意が得られる前提で行われなければいけないでしょう。
これは、必要性を100%保護者がスクリーニングできる医学的線引きが可能、という幻想を捨てることでもあります。
ここも神学論争になりそうですが、これが可能だとすると、医師免許なんて要らなくなるという議論にも発展するでしょう。
私にはそれだけの暴論だと思われます。

受診の必要性の有無の部分が長くなってしまいました。
無駄な受診を防ぐ為に一部負担金が必要、という論はどうでしょうか。
縷々述べてきたように、一定の割り切りを持った上で社会的に合意しなければ、保護者に受診の必要性の判断を求めることは難しいのであり、この判断を前提とした一部負担金による受診の抑制をさらに社会的に受け入れられるのかということになるでしょう。
経済的に富める者もそうでない者も、保護者の立場では「受診の必要性が無い」という判断は難しいです。それでも更に経済力格差につながる一部負担金をハードルとして設けるかどうか、ということに社会的な合意が得られれば、それはありなのでしょう。

しかし、現在の医療費助成制度が保護者の経済的格差が子どもが医療を受ける機会へ干渉することを防ぐ為に求められてきていることを鑑みると、一部負担金を受診抑制のためのハードルとするることは極めて合意を得がたい事柄だと推察されます。
ましてや、受診の必要性が判断できなくても富める者(の子ども)だけが受診の機会を得られるという線引きであると考えれば、その線引きは差別的であり容認されがたいものであると思われます。

社会的に容認されるかどうか、私は合意までには至らないだろうと予想しますが、しかしそれは私個人の価値観に基づくものであり、社会全体のそれと異なるかもしれません。
結果はどうであれ、大いに議論すれば良いと思います。
しかし、「保護者は受診の必要性を判断できる」という妄想を前提に議論することは避けて欲しいです。
何故なら、医学的でも科学的でもない議論であって、詐欺的な議論であるからです(ちょっと言葉が過ぎるかもしれませんが)。
「ある程度はスクリーニングできますよ。漏れもありますよ。漏れは容認してくださいね。スクリーニング結果に従わなかったら負担金をいただきますよ。でも、富める者は貧しき者より受診しやすいですけどね。スクリーニングから漏れた本当は受診したほうがよい症例は、結果として富める者の方が救われる可能性が高いですけどね」ということに社会的合意を得る為に議論されるなら大いに議論に参加したいです。
もちろん、私は、負担金徴収は反対、と主張します。

一部負担金を受診抑制のハードルにするというのは古くからあるアイディアであるようですが、私は非常に乱暴で手抜きの対応だと思います。
医療というリソースへのアクセスに経済力というハードルを設けるのですから。
それでも、現状のリソースを守るためには必要悪、という考え方もあるでしょう。
だとしても、医療「保険」というリスク分散の設計であっても、実際にリスクを負った人間に負担を求めるというのはあまり賢い手法では無いだろうと思います。リスクを負ったのは自動車事故等とは異なり、自己責任からは程遠いものが多いからです。
いやいや、生活習慣病なんかもあろうよ、という声も聞かれそうですが、アルコールには酒税、タバコにはタバコ税がかかっており、税金は医療保険運営に投入されているのですから、ハイリスクとなる自己管理甘し型の人間が負担が重くなっている面もあります(十分ではないですけど)。
検診を受けなければ保険料を割り増す、とうい手法もあるかもしれないですが(メタボ健診には遠からずこの視点がありそうな)。

受診抑制は、無用な受診を抑制するという視点だからおかしくなるのではないでしょうか。
受診の必要性は受診の結果として明らかになります。
むしろ、受診の必要性ではなく、必要そのものを減らす策をとるべきだろうと思います。
そのためには予防であり健康増進であり、啓発だろうと考えています。
これらだけで長文となりそうなので言及しませんが、受診の必要性云々や経済力によるハードルを設けるのではなく、受診の必要性そのものを減らすほうが実害は少なく不公平感も払拭できるのではないでしょうか。
これらは一朝一夕にはいかないし手間隙もかかります。
だから一部負担金で、という発想は手抜きだと思うのです。

受診の必要性は経済力とは無関係です。
だから、受診抑制のために負担金、というのは乱暴だと思います。
それでも現状の医療提供体制を守る為に即効性のある受診抑制が必要だというのなら、手抜きで乱暴な手法だけども、負担金により抑制しようと提起すべきです。
保護者が受診の必要性を判断できる、だから不必要な受診には負担金を、というのは詭弁だし、誤魔化しだ、と。
求めるなら、「不公平だけど手っ取り早いので」と説明して欲しいものです。
その上で社会的に合意できるのなら、それはそれで良いじゃないかな、と。
それが民主主義国家なんですから。

ただ、子どもたちの健やかな成長を考えると、一部負担金を「ハードル」とする考えは嫌なんですね。

テーマ : ブログ
ジャンル : ブログ

子どもを支える活動が評価される社会を目指して

5月5日に「+Action for Children」を立ち上げたものの、HPの充実など、なかなか十分に果たせていません。
いったい、何をしたいの?という疑問をお持ちの方も少なくないと思います。

何をしたいの?への答えは、色んなこと!です。
なにせ私は根っからの欲張りで、関心があることにあれやこれや首を突っ込みたいのです。

といっても、実際にできることはそんなに多くはありません。
やれることをやれる範囲で実行するしかないですよね。
こういったことをやりたい、という具体的な企画は既にいくつかあるのですが、今月は組織の整備に力を注がねばいけないので、具体化は次月に持越しです(ホント、組織として未整備なことが多すぎるので)。

なので、具体的にこれをやる!ということを今回のブログ記事では書けないのですが、壮大な話かもしれませんけど、そもそもこの組織を立ち上げる大きな動機のひとつをご紹介します。

それは、日本を「子どもを支える活動が評価される社会」にしたい、ということです。
いやぁ、漠然としているでしょう?
でかい絵でしょう?

ご存知の方もいらっしゃるかと思いますが、私は「細菌性髄膜炎から子どもたちを守る会」の事務局長として、2007年より活動してきています。
現在も子どもたちを細菌性髄膜炎から守ってくれるヒブワクチン、小児用肺炎球菌ワクチンの早期定期接種化を求め、活動しています。
同時に、同じく細菌性髄膜炎に罹患した当事者相互の交流や支え合いといった活動も行っています。

具体的には、署名活動や議員要請、各種啓発イベントや関連学会への参加、講習会やセミナー・シンポジウムでの講演、街頭宣伝活動、メディアへの寄稿、当事者のつどいの開催等などを行ってきました。
時にはメディアの取材に対応し、活動や意見などを紹介してもらったりもしています。
これらの活動は原則ボランティアで、自分の時間を使って行っています。

「原則ボランティア」、これは子どもたちを支える活動の多くに共通することだと思っています。
子どもたちのことに限らず、多くの患者会活動などは同様ですよね。
私は、この「原則ボランティア」そものもは決して悪いことでは無い、と思っています。
ただ、この「原則ボランティア」ゆえの限界も感じています。

「原則ボランティア」の活動に参加してきて感じる限界のひとつは、「参加できる人が限られてしまう」、ということです。
先ほど、「自分の時間を使って」と書きましたが、この制限が、多くの方々が「参加したいけど参加できない」ハードルになっています。

私自身は、現在の職場(医療関係の団体)の理解を得て、子どもたちを支える活動も業務の一部に組み込んでいただき(もちろん、組織的に経験や情報などをフィードバックすることになりますが)、そのお陰で就業時間に当たる日中でも活動の時間を割くことがある程度は可能な状況にあります。
そのため、厚生労働省の部会の傍聴に足を運んだり、日中に開かれるセミナーを聴講したりすることが可能になったりしています。
でも、これってすごくイレギュラーで恵まれた環境なんですよね。

私の活動に大きな影響を与えたのが、「ムコネット Twinkle Days」の中井麻里さんとそのご家族なんですが、中井さんご家族を取り上げたドキュメンタリー番組で、アメリカの治験に参加するために職場に休職を申し出る際に、クビになることも覚悟した、というお話をされていました(実際には快く休職を認めていただけたとのことです)。
私自身も、中井さん程ではないにせよ、子どもの病気等で有給をとらなければならない状況に直面したことも何度かあり、残念ながら不快感をあらわにした対応をされたことも過去にはありました(まあ、職場からの信頼が無かったといえばそれまでですが)。

例に出した事例はボランティア活動とはちょっと違う話なのかもしれませんが、子どものために時間を割くことが、職を失ったり評価を下げたりすることを覚悟しなければならない状況があるということなのだと思います。
このような状況がある限り、「原則ボランティア」の活動に多くの方が参加することはなかなか難しいだろうなと。
とりわけ子どもを支える活動では、当事者に近い保護者の方々は20代から40代の、職場では若手から中堅どころという層になりますから、上記のリスクを抱えるのはとてもシビアな年代です。
故に、気持ちはあっても参加しづらい、ということになってしまいます。

私は、「+Action for Children」の活動を通じ、多くの方に子どもたちが直面する様々な困難な状況があることを知っていただき、どうしたら改善できるのかをともに考え、そして改善に向けてともに行動していきたいと考えています。
そして活動には、多くの皆さんを巻き込んでいきたいと目論んでいます。

例えば、企業の方に、職員の研修や業務の一環として、子どもたちを支える活動に参加していただくこと。
子どもたちを支える活動に触れ、参加することで、得られるものって少なくないと思うんです。
そしてその経験は、直接的な企業活動には結びつかなくても、子育て中の方の立場を理解したり気持ちを察したり、ということに繋がるかもしれません。
もちろん、そこで得た新たな視点が企業活動やサービスに活かせるケースもあるかもしれません。
そして、そういった活動が、職を失ったり評価を下げたりするリスクとなるのではなく、得られるものを評価し、ベネフィットをもたらすものになって欲しいのです。

多くの大人が、子どもたちを支える活動の経験を有する社会になれば、子どもを支えるためのボランティアが、強い思いと恵まれた環境を持つ人間だけが参加する特別なものではなくなってくれるんじゃないか、そんなことを期待しています。
困難に直面した当事者やそれに近い人たちだけが参加するのではなく、また、特別な環境に身をおいた人間だけが参加するのでもなく、次世代に社会というバトンをつなぐ担い手として、多くの方が子どもたちを支える活動に参加し、子どもたちを支えるという視点を持てる世の中にしたい、そんな思いから「+Action for Children」を立ち上げました。
なので、特定の疾病等に特化した患者団体ではなく、「子ども」という括りで活動を展開する組織にしました。

「+Action」、というネーミングは、文字通り「行動する」ことに力点をおいたものです。
多くの方は、知り、考え、というところまでは進めるけれども、なかなか時間を割いて行動するまでの環境を得ることができていない、ならば、その環境を変えていきたい、という思いです。
誰もが気軽にActionを起こせる、その手伝いをできればと。

と、夢は結構、大風呂敷広げちゃっていますが、なんせ代表が私ですから、大したことはできません。
小さなことからこつこつと、やるしかないですよね。
でも、この壮大な夢を実現するため、多くの人を巻き込んでいくつもりでいます。
今後、小さな活動から展開していくと思いますが、興味がある方、一緒に社会変革という大風呂敷を広げてみませんか。
賛同いただける方、ご支援・ご協力いただける方からの連絡をお待ちしております。



テーマ : ブログ
ジャンル : ブログ

「+Action for Children」をよろしくお願いいたします。

2011年5月5日、任意団体「+Action for Children」を発足しました。

「子ども視点」を社会に浸透させるために、子どもたちのことを「知り」、「考え」、そして子どもたちのために「行動する(+Action)」ことを支援する活動を展開していきます。

まずは「知る」ことの機会として啓発活動からはじめていきます。
また、既に子どもたちを支える活動を展開されている方々を、微力ながら支援していきたいと考えています。

まだまだ拙い組織ですが、どうぞよろしくお願いいたします。
プロフィール

+afc

Author:+afc
FC2ブログへようこそ!

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
Donation(寄付)
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。